1976年の日本ハムファイターズ(1976ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1976年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。

このシーズンの日本ハムファイターズは、大沢啓二監督の1年目のシーズンである。

概要

東映時代から数えて8年連続Bクラスからの脱却を図るべく、日本ハムの大社オーナーは1972年までロッテの監督だった大沢啓二を新監督に招聘。大沢新監督は、優勝を狙えるチームにするべく主力打者の張本勲を巨人へ放出し、新たに高橋一三と富田勝を獲得。また近鉄から永淵洋三と服部敏和を、阪神から後藤和昭と村上雅則をトレードで獲得するなど東映カラーを一掃した。それ以外では、新外国人のウォルター・ウィリアムスとボビー・ミッチェルが打線の中心となるなど、スタメンのほとんどが前年同様移籍組で占められるようになった。トレードなどで戦力を一新したチームだったが、成績には結びつかず前期は4位、後期は5位でそれぞれ終了した。前年3位だった太平洋の不振もあり、辛うじて最下位を免れたが、借金は再び2ケタに膨らんだ。投手陣は東映時代からのエース・高橋直樹や野村収、そして巨人から移籍の高橋一がローテを守ったものの防御率3.72で5位に終わり、打撃陣は両外国人に加えて前年首位打者を争った小田義人や内田順三、富田の活躍が目立っただけで後の打者が不振にあえいだ。4月29日の近鉄戦でルーキーの行澤久隆が走者を追い越してプロ入り初本塁打をフイにするハプニングもあった。

チーム成績

レギュラーシーズン


*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝

オールスターゲーム1976

できごと

  • 4月29日 - 近鉄バファローズ戦、行沢久隆がデビュー3打席目にして満塁本塁打を打つが、興奮の余り一塁走者を追い越してアウト。
  • 6月17日 - 阪急ブレーブス戦で竹村一義が上垣内誠に死球を与えた事で大沢啓二監督が激怒、マウンドまで襲いかかって竹村を殴り付ける。またウォルター・ウィリアムスも乱闘中、阪急の中田昌宏コーチを殴り付ける。大沢監督とウィリアムスはその場で退場、後日「1週間出場停止」処分となる。

選手・スタッフ

表彰選手

ドラフト

出典


日本ハムファイターズガイドブック1980年 港書房

2007年 北海道日本ハムファイターズ 19 YouTube

1976年 日本ハムファイターズ選手名鑑 ニコニコ動画

【過去行きました】1978年日本ハムファイターズ19 YouTube

1981年 日本ハムファイターズ「選手名鑑」 YouTube