海北 友徳(かいほう ゆうとく、宝暦13年(1763年) - 弘化4年3月8日(1847年4月22日)は、江戸時代中期から後期にかけての絵師。海北友松から続く海北派の7代目。名は照道、友徳は号、通称は斎之祐(助)はじめは斎宮亮。

略歴

京都出身。海北派6代目海北友三の子。新日枝神社蔵の「絵師書上」によると土佐光貞の弟子。住所は西陣。寛政度の京都御所造営に伴う障壁画制作に参加した。現在では余り知られていないが、『平安人物志』文政13年(1830年)版、天保9年(1838年)版にも掲載されるなど、当時は絵師として十分認知された存在だった。また、春日局に由来する稲葉家との繋がりも保持していたらしく、淀藩から毎年米10俵が支給され、時の藩主・稲葉正諶に扇などを献上している。墓所は上京区の十念寺。

現存する作品は絵馬が多い。息子の海北友樵が跡を継いだ。弟子には一時養子だったこともある堀江友聲がいる。

作品

脚注

参考資料

  • 京都文化博物館学芸第一課編集 『京都文化博物館開館10周年記念特別展 京(みやこ)の絵師は百花繚乱 「平安人物志」にみる江戸時代の京都画壇』 京都文化博物館、1998年10月2日、pp.147,273
  • 小松百華 「海北家伝来海北派絵画関係資料試論―京都御所造営を中心に―」『芸術学』第21号、三田芸術学会、2017年3月
  • 河合正朝 「覚書と海北友徳」『河合正朝絵画史論集』上巻、中央公論美術出版、2019年1月、pp.428-435、ISBN 978-4-8055-0867-1
  • 小松百華「海北家所蔵「覚書」にみる海北派絵師の動向(PDF)」『神奈川県立博物館研究報告 —人文科学— 第46号』 2019年10月23日、pp.61-72

海北 友松 (peridot_ch_0801) さんのイラスト・マンガ作品まとめ (1 件) Twoucan

海北友松 : 有限会社フリーカード・システム

ミッション 広菱倉庫運輸株式会社

海北友松 (絵師) の死去日,作品リスト,関連情報など 訃報新聞

寛政のTwitterイラスト検索結果(古い順)。