西郷 茂員(さいごう しげかず)は、江戸時代前期の安房国東条藩の世嗣。通称は数馬。

略歴

300俵の旗本・西郷用員(初代藩主西郷正員の三男で、2代藩主西郷延員の同母弟)の三男として誕生。母は木原義久の娘。幼名は万吉。

東条藩嫡子であった従兄弟の西郷氏員の早世によって、実子の居なくなった伯父・延員の養嗣子に迎えられた。

天和2年2月21日(1682年3月29日)には、東条藩の跡目として5代将軍・徳川綱吉に拝謁、のちに御小姓として取り立てられている。

しかし、貞享元年11月25日(1684年12月31日)に粗相があったのか、御小姓を廃されている。理由は不明である。そして同5年2月11日(1688年3月12日)には生家に送り返された。これで完全に東条藩の跡目から除外された。

代わって大村純長の五男・万之丞(寿員)が延員の婿養嗣子となった。


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