睦州(ぼくしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から北宋にかけて、現在の浙江省杭州市南西部に設置された。

隋代

603年(仁寿3年)、隋により睦州が置かれた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、睦州は遂安郡と改称され、下部に3県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

唐代

618年(武徳元年)、唐により遂安郡は睦州と改められた。742年(天宝元年)、睦州は新定郡と改称された。758年(乾元元年)、新定郡は睦州の称にもどされた。睦州は江南東道に属し、建徳・寿昌・青渓・遂安・桐廬・分水の6県を管轄した。

宋代

1119年(宣和元年)、北宋により睦州に建徳軍が置かれた。1121年(宣和3年)、睦州は厳州と改称された。1265年(咸淳元年)、南宋により厳州は建徳府に昇格した。建徳府は両浙路に属し、建徳・寿昌・淳安・遂安・桐廬・分水の6県と神泉監を管轄した。

元代

1277年(至元14年)、元により建徳府は建徳路と改められた。建徳路は江浙等処行中書省に属し、録事司と建徳・寿昌・淳安・遂安・桐廬・分水の6県を管轄した。1358年、朱元璋により建徳路は建徳府と改められた。1362年、建徳府は厳州府と改称された。

脚注


浙江名字含

睦洲镇南安村

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