李 蒙(り もう)は、中国後漢末期の武将。

事績

初めは董卓に仕えた。孫堅が董卓討伐の兵を挙げた時、董卓はこの迎撃に先立ち、徐栄と李蒙を四方に派遣し、虜掠を行わせた。この時に徐栄が孫堅と遭遇し、これを撃ち破った。

初平3年(192年)、王允・呂布らが董卓を暗殺し、政権を握る。李蒙は董卓旧臣の李傕・樊稠・王方らと合流し、長安の城を陥落させ、この勢力を駆逐した。

興平2年(195年)2月、撫軍中郎将の官にあったが、李傕によって殺害された。

三国志演義

羅貫中の小説『三国志演義』では第9回で登場。李傕らが董卓の仇討ちのために攻め寄せてきた時、李蒙と王方は長安の内部からこれと内通し、王允・呂布らの勢力を駆逐する。

李傕らの政権が誕生すると校尉に任じられる。馬騰・韓遂の軍が長安に攻め寄せると、賈詡は専守防衛を主張するが、李蒙と王方はこれに反対。15000の兵を与えられ、馬騰らを迎撃する。しかし王方は馬超との一騎打ちで敗北。李蒙は退却する馬超を追撃するが、槍を突き出したところを身をかわされ、生け捕りにされた後、斬首刑に処される。

脚注


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李蒙(全国政协原副主席)_搜狗百科

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李蒙副主席出席第39届中国洛阳牡丹文化节 中国农工民主党洛阳市委员会