山陽山 淺一(さんようざん せんいち、1915年8月7日 - 没年不明)は、岡山県小田郡(現在の笠岡市)出身で、出羽海部屋所属の1940年代に活躍した元大相撲力士。本名は、藤井 浅一(ふじい せんいち)。現役時代の体格は身長185cm、体重96kg。得意手は突っ張り、寄り、上手投げ。最高位は東十両3枚目。
来歴
1930年5月場所に初土俵。1940年1月場所に十両昇進。柔軟な体格から繰り出す突っ張りを持ち味とし、その取り口は闘志に溢れていた。新十両の場所を8勝7敗と勝ち越すと、1941年5月場所には自己最高位となる東十両3枚目まで番付を上げたが、2勝13敗と大敗し、幕下へ陥落した。翌1942年1月場所では幕下優勝を果たして1場所で十両へ復帰した。十両下位で2勝13敗と大敗した1943年1月場所限りで廃業した(続く1943年5月場所は幕下力士として番付に名前が載ったのみ)。
主な成績
- 通算成績:93勝105敗9休 勝率.470
- 十両成績:34勝56敗 勝率.378
- 現役在位:19場所
- 十両在位:6場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1942年1月場所)
場所別成績
改名歴
- 小藤井 淺一(こふじい せんいち)1930年5月場所 - 1937年1月場所
- 山陽山 喜久光(さんようざん きくみつ)1937年5月場所 - 1941年1月場所
- 山陽山 淺一(さんようざん せんいち)1941年5月場所 - 1942年1月場所
- 山陽山 喜久光(さんようざん きくみつ)1942年5月場所 - 1943年1月場所
脚注
参考文献
- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年
関連項目
- 大相撲力士一覧



